日本には「学歴」に拘る人が比較的多いように思われるけれど、現代の日本で生きるのにそれは「必要」なのだろうか?
きっかけ
昨晩日本のニュース番組を見ていたところ、「コロナ禍で退学や休学を選択する大学生が急増」という話が扱われていた。
なんでも、昨年(2020年)4~12月の間に、1367人の大学生が退学したのだとか。
その番組では、実際に退学した若者にインタビューしていて、要は「経済困窮」が理由で退学したとのことだった。コロナ禍で大学生がアルバイトできる場が激減したためとのこと。
もちろん可哀想だなとは思ったものの、「そんなに悲観するほどのことでもないのでは?」というのが私の個人的な感想だった。
この手の話につきものなのが「学歴は必要か?」という問いなわけだが、普段大学生と接している私の意見を書いてみたいと思う。
なお、中国における「学歴」は日本のそれとはだいぶ位置付けが異なり比較が適当ではないため、ここではあくまで「現代の日本で生きる上で…」という前提で話をしたいと思う。
学歴が必要な職業は存在する
まず当たり前の話だが、学歴が必要かどうかなんていうのは目指す職業次第だ。
最近将棋の藤井聡太さんが高校を自主退学したが、プロ棋士である彼にとって「高卒」という学歴は不必要なものであり、「中卒」、すなわち最低限の義務教育で十分だったということになる。これに異論のある方はいないだろう。
逆に例えば、目指す職業が「医師」であったならば、「高卒」はもちろんのこと、大学の医学部医学科を卒業、すなわち「大卒」という学歴が必要になる。それが医師国家試験の受験資格になっているからだ。
また、民間企業でビジネスパーソンとして働きたいと思ったとして、特に大企業の場合は「大卒」を応募資格として設定しているところは多い。
そんなわけで、学歴が条件となっている職に就くことを目指している場合は、言うまでもなく学歴は必要ということになる。
急増する「学歴が必要のない職業」
一昔前の日本では、「大学- > 民間企業」や「大学 -> 公務員」が最もバランスのとれた、言わば「安心・安定」な進路だと考えられてきた。
だから一昔前までであれば、「学歴は必要」というステートメントは間違いではなかったと思う。
しかしながら、10年前くらいから日本社会は徐々に変わり始め、特にこの5年くらいで劇的な変貌を遂げた。ざっくり言えば、「お金を稼ぐ手段」がものすごく増えたのだ。
世の中の多くの人は自分自身が生きるため及び家族を養うために仕事をしている。趣味で満員電車に乗りたがる人もタイムカードで管理されたがる人も基本的には存在しない。全ては「お金」のための営みなのだ。
近年収入を得る方法の多様化が目紛しいスピードで進んでおり、組織の構成員、いわゆる「勤め人」として働く以外の選択肢が豊富に存在しているのが現状だ。
やはり鍵になっているのは「ITの発達」だと思う。最もよく知られている例は「YouTuber」だろうが、他にもいくらでもある。ブロガーもそうだし、個人事業主(フリーランス)として働くライター、プログラマー、コンサルタント、塾講師、オンラインサロン主催者など、枚挙にいとまがない。
要は何か得意なことさえあれば、それでお金を稼ぐのが容易な時代になったのだ。
もっと言えば、工夫次第では得意なことなんかなくても稼げてしまう。ご存知の方もいるかもしれないが、「1時間◯円」と価格設定して自身のレンタルサービスをしている方なんかもいる。なぜそんなことが商売になるのかと不思議に思えるが、世の中には、お金を出してもいいから愚痴をじっくり聞いて欲しいという人もいるし、離婚届の提出等、人生における大きな決断をする時に誰かに付き添ってもらいたいという人もいる。日本は小さな島国だが、そこには1億2千万人もの人がいて、皆が皆貧乏ではない。貧しい人もたくさんいるが、経済的に余裕のある人も山ほどいる。実に様々な「需要」がそこには存在するのだ。
また、個人的に魅力に感じているのは「個人投資家」と呼ばれている人たちだ。成功して専業投資家として食っている人は置いておくとして、最近は「フリーター兼個人投資家」という生き方をしている人が増えている。要は、徹底的な制約生活をしつつ、アルバイトでタネ銭を作り、それをひたすら投資するのだ。私がたまにチェックしているブログがあるのだが、その方はいわゆる「ミニマリスト」で、激安物件に住み、どケチ生活をしながら浮いたお金は全て投資に回しているのだとか。投資といっても、最近流行りのインデックス投資であり、決してハイリスクなギャンブルのようなものではない。かなり堅実なものだ。非常に上手い世の凌ぎ方だなと思うし、その生活をブログで紹介しているため、おそらくは広告収入も毎月かなりの額が入っていることだろう。ヒカルやラファエルのようにリッチな自分をひけらかしても稼げるし、貧乏な自分を見せても稼げる、そういう時代なのだ。
型にはまった生き方をしたい人ほど学歴は必要
そんなわけで、現代の日本では、学歴が必要になる典型例である「勤め人」という生き方は正直あまり魅力的ではないのでは?と個人的には思えてならない。
標準的な金額を安定的に30年間受け取れる代わりに、満員電車で通勤し、堅苦しいスーツ姿で仕事をし、タイムカードで管理される、、、令和時代におけるベストな生き方だとは正直私には思えない。
一度きりの人生、皆もっと自由に生きたいとは思わないのだろうか?
この私の意見に「うん、うん!」と同意する方もいるだろうし、「いやぁ〜自分は安定や安心の方に魅力を感じるな、、、」という方もいると思う。
後者の方たちにとっては、はっきり言って学歴はあればあっただけ武器になる。なるべくいい大学に入った方がいいし、もし自身が専攻した学問に興味が持てるようなら、大学院の修士課程くらいまで進学しておくと箔がつくだろう。一度手に入れた学歴は将来不変であり、ずっとあなたの過去(履歴書)を彩ってくれる。
逆に前者の方たちにとっては、学歴なんてほぼ無価値だ。例えば、自分自身を表に出してブランディングしていくタイプのビジネスをする場合であれば、大卒(知名度のない大学)等のインパクトのない中途半端な学歴があるよりは、むしろ中卒の方がクールだとオーディエンスが感じるケースは多いだろう。
ということで、少々表現がアグレッシブかもしれないが、「型にはまった生き方をしたい人ほど学歴は必要」というのが私の意見だ。
子供に望むこと
私にも子供がいる。
日本の大学で教員をしている知り合いたちを見ていると、子に「高学歴」を身につけさせたいと思っている人が非常に多いし、実際に名門校に進学する「学者の子供」はすごく多い。学者の子供が将来同じように学者になるケースも多い。
そんな業界に自分はいるものの、正直子供の学歴に拘る気持ちはない。本人がやりたいことをやり、好きなように生きたらいいと思う。子供といえど、独立した人生を生きるある種の他人だからだ。子供の生涯をずっと見守り続けられるわけでもないし。娘は妻に似て可愛いけれど、ずっとそばにいて欲しいなどという思いは一切ない。18歳までは一生懸命面倒を見るが、その後はどこにでも羽ばたいて行けばいいと思っている。
ただ、一つだけ願うこととして、何か得技を持って欲しいなとは思う。英会話でもいいし、プログラミングでもいいし、料理でもいい。絵を描くことでも文章を書くことでも何でもいい。社会人になる前に最低何か一つ、「食えるレベル」の能力を身につけて欲しい。このことはきっと、今後10年かけて娘に言い続けることになると思う。
「あなたは何者ですか?」と問われた時に、自信を持って語れる大人になって欲しいなと思っている。
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