「コロナ禍収束」の条件とは? 一体どうなったら収束するのか? 2つの収束可能性

COVID-19

一体どうなったらコロナ禍は終わるのか、改めて考えてみました。

問題

日々新型コロナウイルス感染症(COVID-19)関連のニュースを目にしているわけですが、とあるニュース記事のタイトルに含まれた「感染収束見通せず」という表現を眺めていてふと気になったことがあります。

そもそも「コロナ禍が収束する」というのは一体どういう意味なのでしょうか?

一体どのような状態になったら我々は2019年までと同じような生活を送ることができるのでしょうか?

既にわかっていること

「コロナ禍収束」の定義を問われて、「新型コロナ感染者がゼロになること」と答える方はおそらく日本には多いでしょう。もしかしたらほとんどの人はこう答えるかもしれません。

しかしながら、これは正しくありません。

世界トップクラスの専門家たちが断言しているわけですが、新型コロナウイルス自体がこの世界から消滅することはありません。我々が普段、季節性のインフルエンザウイルスや一般的に「風邪」と呼ばれている旧型コロナウイルスと共生しているのと同様に、新型コロナウイルスとも共生せざるを得ないことはすでにわかっています。

何が問題なのかと言えば、新しいウイルスであるが故に「誰も免疫を持っていない」という点に尽きるのです。

人間には自然免疫が備わっており、後天的に獲得可能な免疫に関しても、産まれてから今日に至るまでに様々なウイルスに晒されたり予防接種を受けることにより日々アップデートされていますから、例えば健康な若者であれば新型コロナに感染してもほとんど症状すら出ないことが多いのです。

しかしながら、誰しも高齢になれば徐々に免疫力は低下していきます。ですから、例年非常に多くの高齢者が風邪やインフルエンザに罹って亡くなっているのです。それは「普通」のことであり「寿命」ですから、テレビのニュースで取り上げられることもないのです。

まず大前提として我々が認識すべきことは、一般的な「風邪」であっても高齢者にとっては十分に死亡リスクがある、つまり「風邪」は十分に怖い病気だということです。

誰しも生きていればたまには風邪くらい引くものです。ですから、「風邪の免疫」なるものは誰もが持っているのです。しかし高齢になり体が全体的に衰えれば、自然免疫及び後天的に獲得済みの免疫では対処しきれず、ウイルスに押し切られてしまうこともあるということです。

そんな中、この世界に新しく登場したのが新型コロナウイルスなわけですが、これに対する免疫は誰も持っていませんから、高齢者も若者同様自然免疫のみ(※日本人はBCGワクチンの接種により部分的に新型コロナにも効果のある免疫を獲得済み、という話もありますがここでは簡単のため考慮しません)で対処するしかありません。となれば、加齢により体が衰え自然免疫が弱くなっている高齢者の死亡リスクが相対的に高まるのは当然です。

ですから、現時点ではとりわけ高齢者にとっては、新型コロナは明らかに風邪よりも怖いウイルスなのです。

SNS上では「新型コロナは風邪」と主張している人たちがたくさんいますが、以上の理由からそれは正しくありません。

正確に言えば、健康な若者にとっては「風邪と大して変わらない程度の怖さ」であるとは言えますが、高齢者や持病持ち、特に糖尿病持ちかつ肥満の男性などにとっては新型コロナは明らかに風邪よりも怖いです。風邪なら死なないけれど新型コロナに罹れば死ぬ、という人は決して少なくないのです。

「それならリスクの高い高齢者や持病持ちの人だけに外出を自粛させれば良いのでは?」という意見があります。正直気持ちはものすごくわかります。しかしながら、健康な若者であっても感染自体はするわけで、ウイルスの運び屋にはなってしまうわけです。それに、低リスクな人と高リスクな人を分けるというのは現実的ではありません。最もリスクの高い人たちというのは一般的には病院や高齢者介護施設にいるわけですが、そういった施設のスタッフは仕事以外の時間にはもちろん街中で様々な不特定多数の人と接触することになりますし、スタッフの中には子供がいる人もたくさんいるわけで、社会で生きている以上、年齢層や健康状態による分離などできるはずがないのです。

ですから、日本では現在全ての人に対して、不要不急の外出自粛が要請されているのです。

「コロナ禍収束」の条件とは?

され、それでは我々が待ち望んでいる「コロナ禍収束」とは一体何を意味し、どういった状態になることが「収束」なのでしょうか?

基本的には、「2019年までと同じ生活が送れるようになること」だと思います。

ただ、これはちょっと漠然としていてわかりにくいですね。新型コロナの駆逐が不可能である以上、やはり多かれ少なかれ世界は若干変化してしまったとは言わざるを得ませんし。

究極的には、新型コロナのイメージが2019年までの風邪に対するイメージ程度になることだと私は考えていますが、それには最低でも5年10年といった時間がかかるのではないでしょうか。

個人的にもそんなに待ってはいられませんし、「言うは易く行うは難し」的なことをいくら言っても仕方がないので、一つ現実的な提案をしたいと思います。

それは、「新型コロナに罹ったとして、医院(クリニック)で診てもらえるようになったら収束」です。

日本の単位人口あたりの病床数は世界一であり、日本は世界に誇る医療先進国です。ではなぜそんな日本で「医療現場の逼迫」や「病床不足」などといった問題が起こるのかというと、ほぼ全てと言ってもいいくらい多くの民間の医療機関が新型コロナ感染者の受け入れを拒否しているからです。他国に比べ日本では民間医療機関の比率が非常に高く、国が受け入れを指示することができないのです。もちろん民間の病院側にも事情があり、安易に受け入れようなものなら風評被害で新型コロナ以外の患者が激減し、経営が傾くことは目に見えているからです。

このことが日本におけるコロナ禍の本質だと私は考えています。

今後10年20年というスパンで言えば、最終的には誰もが新型コロナには感染することになります。しかし現在は、仮に感染して発熱したとして、その辺にあるクリニックで診てもらいたくても診てもらえないんですよね。まるでエボラウイルスにでも感染したかのような扱いを受けることになります。

この問題が解決されない限り、日本におけるコロナ禍は絶対に収束しないと私は考えています。

要は、「風評被害」というのが鍵になっているわけで、国民の「意識」というか、新型コロナに対する国民の「イメージ」をいかにして徐々に変えていくかという部分が重要になるのだと思います。

本音を言えば、収束までにはまだだいぶ時間がかかる可能性が高いのではないかと私には思えてなりません。

収束するとしたら、、、と考えてみたのですが、2つのパターンが思いつきました。

収束パターン1(ワクチン頼み)

最も早く一気に現在の状況を変える可能性のある存在、、、と言ったらやはり「ワクチン」以外にはあり得ないかと思います。

日本ではアメリカのファイザー社製のワクチンの接種が既に始まっているわけですが、日本の全ての成人が接種を終えた段階で、「これでもう大丈夫!」と多くの国民がそう思えれば、コロナ禍は一気に収束するかもしれません。

ただ、問題は山積みです。挙げればきりがありません。ワクチンの安全性に疑問を抱き、「打ちたくない」と言っている人が日本には非常に多くいます。1億人くらいに接種すればアナフィラキシーもそれなりの数必ず起きます。接種後に副反応があったとSNS上に投稿する人も山ほど出るでしょう。多くの人が2回の接種を受けるまでにはかなりの時間を要するでしょうし、1年程度でどうにかなる話でないのは明らかです。

個人的に特に心配なのは、80代90代の高齢者への接種です。アメリカでも接種後に亡くなる高齢者が続出しているわけですが、日本でそういったケースが出れば各種メディアが大きく報道し国民の恐怖感を煽ることは目に見えています。5月頃から高齢者への接種が本格的に始まるようですが、そこからの道のりが思いの外長くなるかもしれません。

日本人の平均寿命を考えると、個人的には80代90代への接種は控えるべきなのではないかと思えてならないのですが、、、一体どうするつもりなのでしょうかね、、、

ちなみに、中国ではワクチン接種の対象を18~59歳に限定しています。中国や中国人に対しては色々意見がある方も多いかとは思いますが、中国はこういうところが本当に上手いなと私は思いました。

皆さんは、自分の順番が回ってきたとして、新型コロナワクチンを接種しますか?

私は打たないという選択肢があるなら打ちません。もっとも、職業柄、中国産ワクチンをそのうち打つことになるのは間違いありませんが。その際にはもちろん大人しく打ちます。「必要ない」と思っているだけで、副反応を恐れているわけではないので。

私は、世の中には絶対に打つべきワクチンとそうではないものがあって、例えば「HPVワクチン」は前者、「インフルエンザワクチン」は後者だと考えています。ただ、医療従事者や介護士さんなどはインフルエンザワクチンも接種すべきでしょう。

少し話が脱線しましたが、問題は山積みとは言え、この収束パターンがやはり最も現実的なのかなとは思っています。

収束パターン2(慣れるのを待つ)

これは言わば「パターン1」が上手くいかなかった場合のバックアップです。

ワクチン接種を拒否する人が多く接種率が上がらなかったり、変異種が増えワクチンの効果自体が微妙になってくれば、残る収束の可能性としては「新型コロナ慣れ」しかありません。

「一向に状況は変わらないし、もう普通に生きれば良くない?」という人が増えれば社会は自ずと落ち着きを取り戻すことでしょう。そうなれば少し熱が出たからといってわざわざPCR検査を受けようと思う人も減るでしょうし、新規感染者数の発表にもあまり意味はなくなり、民間医療機関の医師たちも新型コロナ感染が疑われる患者を避ける必要がなくなります。

時間はかかるでしょうけれどね、、、

コロナ禍のおかげで報道機関はネタに困らずだいぶ楽ができていますし、コロナ禍による極端な金融緩和が引き起こしている株高、通称コロナバブルで美味しい思いをしている人たちも日本にはたくさんいます。皆が皆、コロナ禍をネガティブなものとして捉えているわけではありませんからね。

兎にも角にも、ワクチンでどうにかならなかったらもうあとは皆が新型コロナのいる生活に慣れるしかありません。

期待のし過ぎは禁物

以上、考えられる今後の展開を文字にしてみたわけですが、コロナ禍はまだまだ続くと思います。

今年は論外として、それでは2022年は2019年のように過ごせるかといったらまず無理でしょう。マスクは引き続き外せはしないでしょうし、海外旅行もまず間違いなく不可能でしょう。

不快な思いをさせる可能性があることを承知で書きますが、あまり期待はしない方がいいかと思います。例えば、旅行業界で働いていてジリ貧なら、今の内に勉強して何か資格でも取って転職を検討した方がいいかもしれません。日本にはIT人材が不足しているわけですから、コロナ関連のニュースを見て一喜一憂している時間があるのなら、プログラミングの勉強でもした方がよほど将来は明るくなるのではないでしょうか。

他にも例えば、最近ANAやJALの採用縮小で絶望しているCA志望の若い女性を紹介する記事を読みましたが、早めに進路を変更した方が良いと思います。世の中には面白いことが他にいくらでもあります。どこに自分の幸せが転がっているかなんていうのは案外わからないものです。

コロナ禍で学費や生活費が工面できず、退学を選択する大学生が増えていることも知っています。絶望する必要はありません。現代の世に求められているのは学歴などではなく「スキル」です。学歴などというそんな上っ面だけのもので飯が食えるほど甘い時代ではありません。何か興味の持てることを見つけて、無我夢中でそれに向き合うことを強くお勧めします。

コロナ禍が始まり既に13か月以上が経ちました。我々の寿命など高々85年。こうしている間にも貴重な時間がどんどん過ぎて行ってしまっています。「コロナ禍収束」なる定義すら曖昧なものを座して待つことはもうやめて、明日自分が何をすべきか考え、それを実行するべきなのではないでしょうか。極端な話、コロナのことなんかもう忘れて、ニュースなんかも見ずにもっと意味のあることに時間を使うべきです。特に若い人たちにこそ、これを実行していただきたいです。10代や20代の1日には宝石のような価値があるのですから。

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