「わたし」

子育て

先ほど妻から連絡があり、なんでも、うちの子の本のチョイスがおかしいのだとか。

うちの子供が通っている保育園では週に1冊1週間、絵本を借りられるルールになっているそうなのだけど、妻的には「なぜこの本?」と疑問に思うことが多いのだとか。うちの娘は、なぜか他の子供達がまず借りないような本ばかり選んでくるらしい。

今回娘が選んだ本はこれ。

谷川俊太郎の「わたし」。

1981年2月発売、つまり40年も前の絵本。調べてみたところ、有名な絵本ではあるようだけど、現代人的には表紙からしてちょっと怖い。貸し出し記録をチェックしてみたところ、なんと過去に誰も借りていないことが判明したのだとか。

作者の父親は哲学者の谷川徹三。やはり父親の影響があったのか、この本は「哲学絵本」として知られているらしい。

「絵本ナビ」の紹介ページには以下のような説明が載っている。

「わたし」は「わたし」。山口みちこ、5さい。でも、「わたし」って誰なんだろう?生まれたばかりのあかちゃんから見ると「おねえちゃん」。お兄ちゃんからみると「いもうと」。お母さんやお父さんから見ると「むすめ」だし、おばあちゃんやおじいちゃんからみると「まご」。先生から見れば「せいと」だし、みっちゃんからみれば「おともだち」。犬からみれば「にんげん」だし、宇宙人から見ると…「地球人」!?「わたし」は「わたし」。一人のはずなのに、こんなにもいっぱいの呼び名がある。れすとらんへ行けば「おじょうさん」って呼ばれるし、映画館ではただの「こども」になる。じゃあ、私のこと知らない人から見たら…?考えはじめると止まらない。今まで見ていた景色がちがってみえる。自分の世界がぐらぐら揺れる、はじめての「哲学絵本」!

(絵本ナビ編集長 磯崎園子)

要は、自分自身のアイデンティティに関して考えさせられるタイプの内容らしい。

これだけならまあ「ありそうな話」とも言えるのだけど、妻が不安に感じたのはこの絵本の最後の部分なのだとか。

この絵本の最後は、「知らない人から見るとだれ?歩行者天国では大勢のひとり」で締め括られる。話の流れが最後の最後で切り替わり、ストンと落とされる感じの、何とも寂しい感じの終わり方になっているのだとか。

こんな話を聞けば、親としてはやはり心配になる。娘はもしかしたら、自らの存在意義を見つけられず悩んでいるのではないかと、、、

娘に「なぜこの本を選んだの?」と聞いてみたところ、「面白かったから」とあっけらかんな答えが返ってきただけだった。まだ幼いのに、案外色んなことを考えているのかもしれない。

「私は誰?」

「私は何?」

我々大人も、たまにはこういう問題に対する答えを考えてみると面白いかもしれない。

例えば私であれば、妻の「夫」であり、子供達の「父親」であり、取得資格(?)の面から言ったら「博士」であり、社会人としては「大学教員」。でも、知らない人から見たら、ただのオジサン。

誰しもが他者との相関の中で「名前」を与えられているだけであって、どんなに有名な人でも知らない人から見たら路傍の石。

だから私は、私に名前をくれる家族、同じ業界の同僚たち、そして自分の学生たちを大切にしたいと思っている。

もし、自分に名前をくれる人がいなかったら、、、その時には、私は正真正銘の路傍の石になるのだと思う。

これこそが、人は人との関わり合いの中でしか生きられない理由なのかもしれない。

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